婚活動画が興味深い

局所解を探る問題

最近YouTubeの婚活アドバイザーの動画を見ることが多いのだが、これがなかなかに興味深い。見方を少し変えるとこれは局所最適解を探る問題であり、最適解は死んでもなお知ることができないところがおもしろい。人それぞれの状況に応じて千差万別の取組み方が必要で、必勝パターンというものがないからだ。

私なりに整理すると結婚は

  • 結婚適齢期に出会った異性の中で結婚相手を選択する
  • 増す魅力と減る魅力の釣合い
  • 方策が正しいか

といったいくつかの問題に対して、取組んでいく必要があると考えている。

局所解って?

局所解というと難しいが、もっとわかりやすく説明すると、例えば視界の遠い先に山が連なっているとする。人間の脳は高性能なので、どこが一番高いかは一目でわかる。しかし、コンピュータはそこまで賢くはないので、左端から右端に向けてその地点の高さを連続で観測していく。

途中で一番高そうな場所を見つけるかもしれないが、最終的には右端に到達したときに、はじめてどこが一番高かったのかがわかる。これはコンピュータが同時にある一点しか注目できないことと、どこで最高点が現れるかがすべてを調べてみるまでわからないからだ。

人生に置き換えてみると、視界中の山脈の左端が婚活開始時で右端が婚活終了時である。どこかに最適な結婚があるが、最適でない結婚を選ぶ可能性もある。しかし、結婚した瞬間にそれ以降を確かめることができなくなる。なので、どこかで良さそうな相手が現れたときに、その人を選ぶかどうかは重大な選択と言えるだろう。

結婚相手の選択

王子様・お姫様は現れない

いくらインターネットやマッチングアプリが普及した現代でも、一生の間に出会える人間の数は限られているし、結婚適齢期に互いに伴侶を求めている相手を探すとなるとさらに限られてくる。白馬に乗った王子様は現れないし、眠り姫もそこらへんに落ちているわけではない。もし結婚を考えているなら、自分で探しに行くか、自分が所属するコミュニティの範囲で相手を選ぶしかない。あるいは友達や親戚からの紹介もあるだろうが、最近はお見合い文化が廃れてきたので望み薄だろう。

未来により良い人が現れるか?

日本は一夫一妻制なので、一度結婚すると離婚するか死別しない限り、次の相手と結婚することができない。すると結婚という行為は必然的に慎重な選択となる。今ここで結婚してもいいが、結婚しなかった未来でもっと自分と相性のいい人が現れるかもしれないし、逆に結婚したことによって不幸になるかもしれない、という懸念が生まれるのは必至だ。

私の交友関係の範囲で結婚している人たちにどうして結婚したのかと聞くと、大体は「そのときにそれなりの人が現れたから」と言うが、実際は自分がどうしても許せないことがない限りはそのくらいの気持ちと勢いで決めたほうがいいのかもしれない。

結婚は一生にそんなにするものでもないので、仮に1回しかしないと考えると、なるべくいい条件で結婚したくなるが、それにも時間的に限りがある。特に女性で出産を考えている場合には、30代後半が限界となるだろう。

それに大人になると年月というものは自分が考えているよりも早く流れるようになるので、仕事が忙しいとか、時間がないとか、なにかとやらない理由をつけたり、自分の状況を支持してくれるコミュニティに所属することでエコーチェンバー現象に陥り、ほかの人もいるのでまだ大丈夫と思ったりすることは危険である。婚活は個人の戦いであり、チームでの戦いではないからだ。

魅力の増減

増える魅力

魅力には増えていくものと減っていくものがある。あまり変わらない魅力もあるとは思うが、ちょっと思いつかないのでここでは割愛する。

増える魅力の代表例は知識、経済力、立場や人間性などがある。これらは生まれ持って得たものではなく、努力によって得ていくものである。金持ちや土地持ち、豪農の家庭に生まれたとしても、やがてはその家を継いで維持していくか、離れて独立するか選択しなければならない点においては、やはり努力の範疇にある。

減る魅力

一方で減る魅力の代表例は「美人は得」と言う言葉にも表れているように身体的魅力である。若いとか、顔が整っているとか、巨乳や安産型で性的魅力に溢れているとかそういうものだ。これは生まれ持ったものが大きい。今はファッションやメイク技術も向上して、40歳を過ぎても美しい方は大勢いるが、それでも美というものはやがて衰えていくものである。

なので、どこかで投資対効果に限界がくる。そうなったときに、それ以外の魅力がないと「ただの人」に成り下がってしまう。私がSNSを見ている限りではおよそ35歳前後で外面的な魅力と内面的な魅力の逆転現象が起きるように感じている。以前までは「カワイイ」で許されていたものが許されなくなり、残ったもので現実と戦わなければならなくなるのだ。

男は経済力で女は若さ?

よく聞く言葉だが、上記を端的に表したものである。私としてはこれは「フツーの人」の魅力を一般化した話であると捉えていて、男で経済力がなくても紳士的であるとか、女で若くなくてもユーモアのセンスがあるとか、経済力や若さの代わりとなる強い魅力があって、互いに納得ができるのであれば構わないと考えている。

方策が正しいか

我々は常に人から選ばれている

よく「自分を楽しませてくれる人がいなかった」「希望した年収の人に相手にされなかった」「もっと魅力的な人に鞍替えしたい」等のコメントを目にするが、自分が選択側にいると考えている人の多さに驚く。これは私の一意見だが、男性は女性を見るときに外見的魅力を求めているが、女性は男性に社会的な面を見ているので、より高尚な立場で選択側にいるという錯覚に陥るのかもしれない。

これまでの人生を振り返れば、常に人から選ばれることのほうが多いことに簡単に気づくはずだ。学校の試験はもちろん、入社面接もそうであるし、昇進時の面談も然りだ。人間関係でも友達と良好な関係を築けていられるのは相手から選ばれているからにほかならない。

それがなぜ婚活になると自分が人事側になってしまうのだろうか?結婚をしようという条件下では関係は対等である。お互いに選んでもらうように仕向けたほうが得なはずで、そのためには自分がどういう人間でどういった魅力があって、ふたりの関係にどう役立つのかを説明したほうが建設的だ。

動物であればこれは求愛行動であり、身体的特徴を見せつけることもあるし、ときには同種族同士で争って強さを誇示することもある。しかし人間でそれをすると犯罪になってしまうので、正しく言語化できるように準備をしておかなければならない。これは相手に対して響くのであれば、増える魅力でも減る魅力でもいい。例えば「私は若くて美人であることに自信がある」でも全然構わない。我々は来たるべきときのために、常に自分の武器を磨いておかないといけないのだ。ただ、いつまでも減る魅力を武器にし続けることはできない。

とりあえず結婚してみるの是非

試行回数を増やせばその結婚が正解だったかどうかはわかるし、生物的には正しいと考えている。しかし、我々は社会性を持ったヒトという生物なので、失敗すなわち離婚を繰り返した場合には、結婚生活に向いてないどころか、人としてのコミュニケーション力が問われることになる。

未婚よりもバツ2、バツ3の人のほうが結婚生活を知っていて、自分と合わない人間を察知しやすいという点では有利なはずなのだが、やはり前述の負の側面が際立って避けられてしまいがちだ。

まとめ

人それぞれに事情はあるし、相性にもよるので正解はない。結婚に向いていない人もいるだろうし、興味を持たない人もいる。ただ、増える魅力に関しては婚活だけでなく長い人生にとってもいい武器になるので、高めておいて損はないだろう。