広告の卵でいっぱいだ
今やインターネットは広告で埋め尽くされた掃き溜めだ。ページを開く際に広告が差し込まれ、ページの上下左右に広告が表示され、その中身を見ても段落ごとに広告が差し込まれる。
ユーザーはこんな暴挙を微塵も望んではいないが、大SNS時代になり情報が氾濫するようになった今ではリーチ数を伸ばすことが認知に繋がり、結果的に購買を獲得できる。なので企業は自分たちの商品を購入してもらうために広告を打ちまくる。ビビ○ドア○ミーやホ○イトアウ○・サバ○バルの広告なんて何回見たかわからないが、金を注ぎ込めば認知だけは獲得できるのだ。
そういう会社も自社で広告配信を仕切れるわけではないので、代行会社にお願いすることになるのだが、広告代行会社はリーチを増やしましょうなどと提案して企業から金を掠め取る。その金で雀の涙ほどの広告配信をした結果が普段我々が見ているものだ。
最近ではパソコンではまだ許せるものの、ひとたびスマートフォンで表示すれば、どこをタップしても広告が立ち上がってしまうようなサイトも見かける。そもそもの広告の表示領域が大きいものもあるし、判定ずらしや遅延読込みで誤タップを誘うものもある。より巧妙なものになると、スクリプトがスクロールを止めてインラインフレームでスクロールさせるものもあるし、タッチ完了イベントを待たずにタップした判定にするものもある。なんなんだこれは。早く取り締まってほしい。
なぜここまで広告が出るのか?
広告を打つのは単純に金稼ぎをしたいからである。ソーシャルゲームはユーザーを増やして課金をさせたいからだし、あちこちの通販サイトは流入を増やして購買に結びつけたい。ブロガーやYouTuberは自分をコンテンツ化して給料の代わりとして収入を得たいのだ。
なんにせよ、広告を出すこと自体は費用が発生するものの、広告を観る側からすれば、金を出すか出さないかであり、購買金額の期待値は0以上になるので、広告を出さない手はない。
そのためであればコンテンツ中の余白は無駄な領域となり、なるべく広告にしたほうがコンテンツに対して収益の期待値が高い。これはなにも新しい取組みではなく、新聞や雑誌も同じような形をとっている。
フリーライダーが多すぎたのも一因?
我々はこれまでモノに価値を見出してきたが、時代が変わり、サービスに価値を感じるようになってきた。かつてソーシャルゲームは金でJPEG画像を買っているようなもの、と馬鹿にされる時代もあったが、今や娯楽の一形態として受け入れられている。
こうしたサービスは利用者の数%が重課金者であれば成り立つビジネスモデルを構築しているが、そのモデルが有効でなかったり、あまりにユーザーの善意に頼りすぎていたりすると簡単に破綻してしまう。これほどWikipediaにお世話になっているのに、1円でも出したユーザーがどれほどいるのだろうか。
元来ソフトウェアやサービスは無料であることが多く、我々もそれに慣れすぎているきらいがある。そこにきて申し訳程度の広告表示は焼石に水だったのだろう。昨今様々なサービスが実質有料化へ舵を切っているが、少し強い選択を迫らないと収益化が厳しい段階になってきてもいるのだろう。
おわりに
ひとつの考え方としてインターネットにおける収益化方法がやっと確立されたとも言える。幸か不幸か広告を氾濫させるという歪な実現方法にはなったが、今のインターネットやビジネスを支えるにはこういう手段しか今のところないのかもしれない。
私は自分の製品やサービスに広告を出したくないと考えているし、価値を感じてもらえたならそのときに心ばかりの支援をいただけたらと考えているが、そうした人の善意に頼り続けられるかどうかはまだわからない。