「明日は明日の風が吹く (After all, tomorrow is another day)」
── Scarlett O’Hara

久しぶりにIntermissionという名のトイレ休憩がある映画を観た。まだまだ時間に余裕があった時代の産物だ。正味4時間もあったものの意外なほどにテンポがよく、非常に楽しめた作品だった。

この「風と共に去りぬ」だが、むかしの映画の話になると毎回と言っていいほど両親が話題にあげるのだ。そのためか自分の中ではこの名言とあまりに長い上映時間で尻がぺたんこになるということだけが知識としてあったし、「明日は明日の風が吹く」と聞いたときは男女の出会いと別れを美しく描いた最後のシーンだとずっと思っていたのだが、蓋を開けてみればとんでもない悪女の話だった。

欲しがる者・奪う者・与える者

スカーレット・オハラは農園主の長女で類稀な美貌を持つも、超自己中心的な性格。それを自覚しておらず、自分の意見を通すためなら嘘泣きもするし、略奪もするし、望まない結婚もする。満足できないことがあれば「私がこんなに酷い目にあっているのにお前は見捨てるのか」と他人への責任転嫁は当たり前。作中でも言われているように、男ならとっくに殺されている程度にはひどい。

南北戦争前の恵まれた時代でも満足することはなく、戦争後の貧困からのしあがっても、レット・バトラーと結婚して大金持ちになっても、女の悦びを知っても、子供が産まれても、その子が死んでも、あれほど好きだったアシュリーをようやく得ても決して満足しない。いっとき悲しみにくれることはあるが、次の瞬間「明日考えよう」とどこか冷めている。結局、彼女が好きなのは常に自分自身と故郷のタラの地だけなのだ。そういった彼女からは決して現状に満足するなという啓示さえ感じるほどだ。

スカーレットの義妹であるメラニーはそんなスカーレットからいろんな物を奪う者だった。想いを寄せていたアシュレーとは結婚するし、戦争が始まると嫌がるスカーレットに病院で働いてほしいとお願いする。その後、北軍の砲撃が迫る村で産気付いてしまい、一刻も実家に帰りたいスカーレットの行動を阻む。出産後はスカーレットの実家の世話になる上に、戦争後は帰郷した同郷の人たちに物資を恵んでしまう。物語の最後、死ぬ間際になっても、アシュレーの世話を頼んでいる。しかし慈愛に満ちた女性で、性格の悪さでは右に出るものはいないスカーレットを誰よりも理解しており、生涯赦し続けた。

レット・バトラーみたいな傾奇者は大好きだ。怪しい笑みをたたえ、型破りな行動をする。金と余裕があり、男勝りで異端児なスカーレットを同族だと言って優しく包み込む。幾度となくスカーレットの人生に現れて、その度に一悶着はあるものの、いつでも助けてくれる与える者だ。

受けるよりも与えるほうが幸いである

「受けるよりも与えるほうが幸いである」
── 使徒行伝 20:35

しかしそんな彼にも限度というものはある。湯水のように金を使っても決して満足せず、振り向きもしないスカーレットについに愛想をつかす。なにかを他人に渡すときには見返りは求めてはいけないが、現代でもテイカー気質の強い人間は嫌われるのだ。もしその好意を受ける準備がなければ、最初から断ったほうが身のためだ。

明日のことは明日が心配します

Amazon Prime Video版は翻訳の権利の問題からか、最後の台詞が「明日に望みを託して」になっていたが、本来は「明日は明日の風が吹く」なのだろう。これは聖書の有名な一節の引用だ。

「明日の心配は無用です。明日のことは明日が心配します」
── マタイによる福音書 6:34

会社で誰かが辞めても、育休や産休に入ったとしても、その人がいなくなればいないなりに回していくものだ。それで回らないなんてことはほとんどない。それに大体の心配事が最悪の事態になることは稀だ。人命が関わらないのであれば、起きていないことを心配して胃をキリキリさせるよりも、起きてから考えるくらいのほうがいいのかもしれない。

昔からとは言わず今でもそうだが、アメリカ映画は少なからず聖書の影響を受けているので、日本人には理解できない考え方や疑問に感じる場面がある。我々は歴史的背景から宗教に抵抗感があるが、少しキリスト教の学びがあるだけで映画がより楽しくなるので、ぜひともおすすめしたい。