数年前に弊社でも属人化を防ぐために、暗黙知を形式知化していきましょうという宣言がなされた。ちゃんと自分の行っている業務を言語化して、手順書を作り、自分が休んでもほかの人が業務を代行できるようにして、強い組織体制を構築していくのだ、ということらしい。
その結果なにも変わらなかった。相変わらず手順書は作られずに業務は属人化しているし、よく会社が回っているなと感心せざるをえない。ただ、属人化にもいろいろあり、人によって捉え方が異なるところもなかなかに面白い。
生きがいを感じる人
中には属人化を好む人もいる。その仕事があることによって、仕事をしている実感を得る人だ。こういう人たちはよく「私がいないとこのチームは回らない」と言うのだが、それは間違いで、その人がいなくなったらいなくなったで会社というものはなんとか回していくものなのである。
業務と一緒に消える人
退職して業務を消滅させた人もいる。その後誰も気にしなかったので、本質的に必要のなかった仕事だったのかもしれないが、引き継ぎはどうした?
業務をやりたくない人
それが私だ。趣味が高じてそれが仕事になってはいるが、仕事は趣味ではないので、極力仕事はしたくないのだ。誰かがやってくれるならやって欲しいし、自分はのんびりと楽でクリエイティブな仕事だけしていたい。
ただ、そうもいかないので、手順書や資料を作って誰でも対応できるようにしたのだが、誰かにお願いしてやっとこ手を出してくれる程度で、結局誰も私の代わりにやってはくれないのだ。もしかしたら私に人望がないのかもしれないが。
自分がやりたくない、人もやらないとなると、もうコンピュータにやらせるしかない。なので、可能なものはすべて自動化することにした。気分としては退屈なことはPythonにやらせようだ。読んだことはないが。
ただこの方法にも欠点はある。私はそれを「妖精さんの秘密の工場1現象」と呼んでいる。
「全自動工場であるわけだな」
「ええ。人間の手はまったく必要ないんです」
「出荷や搬入出はどうしているんでしょう?」
「いや、わかりません。私も見たことがないのですよ。どうしているんでしょうな?」
なにしろいつの間にか棚に並んでいるわけですからね。
自動化して人間の代わりにやってくれることは素晴らしいのだが、いつしかその目的は忘れ去られ、誰がなんのために動かしているかもよくわからなくなり、ただ止めると業務に支障が出る、そんなものを作り上げているような気がしなくもないのだ。
Footnotes
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田中ロミオ, 「人類は衰退しました 4」 GAGAGA文庫, 小学館, 2012 ↩