異常中年にならないために

SNSを見ていると、誰かが主張した「AはBである」に対して、「BはCのこともある」「DではEのこともある」と反論や意見をする人がちらほらいる。

主張した人も大きな主語を使うので、そのような付け入る隙ができてしまうのだが、ほとんどの場合では特定の文脈に沿ったものだ。お互いの前提条件のすり合わせができていない状態なので、意見が一致するわけがない。

また、誰かの主張に意見する人も特定の文脈での反論や、ごくまれな反例を取り上げることで、論理の穴を突いて、議論の主導権を握り、優位に立った気にもなるのだろう。やめられなくなる理由もわからないでもない。あるいは、テレビのクイズ番組を見ている気分で「こいつバカだな」と言っているのかもしれない。

古くは2ちゃんねるの詭弁の特徴のガイドラインにも「ごくまれな反例を取り上げる」は掲載されている1が、主旨としては「お前の主張には間違いがあるから、お前の主張全体は誤りである」というものだ。ちなみに「DではEのこともある」は論点ずらしであり、会話として成り立っていない。

誰も指摘してくれない

しかし、いい歳を迎えた大人にわざわざ快いコミュニケーションの仕方を教えてくれる人なんて心優しい人はいない。人との付き合い方や距離感をうまく測れない人はその時点でサヨナラだ。

それでも昔は個人サイトが多く、いかついラーメン屋よろしく毒吐きネットマナー等、コミュニケーションのあるべき姿を掲げてくれているサイトもあったが、今やそんなものを出せば、言論統制だ個人の自由だなんだと、反論が飛んでくるような時代になってしまった。

自尊心とうまく付き合う

個人的には誰かの意見を否定することで小さな勝利を得て快感を貪るようになったらSNSに向いていないのでもうやめたほうがいい。それよりもなにか創作性のある物事を通して自分の人生を成功に導いたほうが楽しいし、努力しただけ結果がついてくる。楽でクリエイティブな仕事はないが、人間としての高みを目指した方がよほど有意義だ。

スルースキルが試されるとき

最近父とコミュニケーションについて語る機会があったが、曰く「関わってはいけない人種というものがいる」とのことだ。学校教育ではみんなと仲良くしましょうと教えられるものの、どうしても生きる世界が違う人たちはいる。

そういう人たちと遭遇したときに、どうにか向き合って対話しようとするよりも、関わらないほうが時間も金も失わない。RPGではどんな敵も倒せて強さに応じた報酬が得られるようになっているが、現実はそうではなく、ただ労力だけがかかることもある。

かつての2ちゃんねるでさえ、荒らしはスルーと言われていたので、諸先輩方もこういう結論に至ったのだろうと思い知らされる。

Footnotes

  1. これについては詭弁でないとする意見があるが、誤謬の誤謬に該当するように思う。