かと言って、最近なにが流行っているのかを追うためにSNSを辞めることもしないが、以前よりは控えめに接するようになるかもしれない。
時間を食い尽くす新時代の刺客
長い時間かけてSNSに滞在したとしても、自分の人生に役立つことが得られる機会は稀に感じる。最新の流行やネタを把握できるのは確かに利点だが、1週間後には忘れられているネットミームに時間を割くことが惜しくなってきた。それよりもやりたいことはたくさんある。
おすすめ欄を見れば機械的なアルゴリズムで抽出されたコンテンツが無限に表示される。ターゲッティングもされているので興味を惹かないわけがなく、いくらでも時間が潰せてしまう。テレビやラジオといったオールドメディアよりも個人に最適化されているので中毒性が高いし、人が作り出した唯一無二であるが故に飽きることもない。非常に危険だ。
深淵もまたこちらを覗いている
「戦いは同じレベルの者同士でしか発生しない」だとか「同じ穴の狢」と言うように、SNSで義憤に駆られるようになったり、立場や経験をもとに他人に意見するようになったら、もう辞めたほうがいいし、そういうのは身内の中で留めておくべきだ。
直接的に攻撃されていない限りは「そういう意見もあるかもなあ」で流したほうが無難であるし、世界中の不特定多数を敵に回して発言するようなことではない。今やコンプライアンスやジェンダー、マイノリティを使って難癖つけて炎上させにくる鉄砲玉はごまんといるし、たまに報道されているように、トラブルに発展すれば最悪刃物で刺しにくることだってある。
SNSに投稿するにしても、マイナスの感情を含むものよりもプラスの感情を持つ話題のほうが他人が見ていて気持ちいいし、他人の意見が自分の倫理観や常識と大きく異なっていても、こちらから殴りにいく必要はない。現実世界でそりが合わない人にわざわざ向かっていくだろうか?ネット弁慶とはよく言ったもので、今になって2chの「スルー推奨」が身に沁みる。
客観的な目線を持つ
スルースキルとは言うものの、やっぱり人間は自分の信じていたものを否定されたり、嫌な思い出があったりすると身構えてしまうし、攻撃的な態度を取りたくなる気持ちもわかる。しかし、世の中には生まれも育ちも異なる人間だらけなので、自分というたった一個体の意見がまったく正しいわけでもない。
否定的な意見を見ても、ひとつの意見として捉えることが肝要だ。この人はどうしてこの発言に至るようになったんだろうとか、こういう言動をする理由はなんなのだろうか、といったその人の背景にある部分をメタ的に捉えようとすることで、少し落ち着いた視点で状況を認識できるようになるだろう。
現実世界では自分の目につかず気にならなかったことが、ネットではふとした瞬間にすぐそばに現れるし、いくらでも深掘りできてしまう。それによって嫌いなものに対する気持ちを強めることができるし、賛同者も見つけることができて、自分の意見が正しいと思い込んでしまう1。
よく見られる特定の行為に概念的な名称がついていないかどうか、知識を蓄えることでも主観を疑うことができるようになるかもしれない。近年では生成AIがあるので、曖昧な言葉で投げかけても答えが得られるようになっている。
そんなこと言わないほうがいいのに
SNSにはコミュケーション特有の面白さがあるのは認めるが、突き詰めても果てがない。浸かれば浸かるほど強い刺激が欲しくなる。ただの傍観者だった人が正義棒を振るうようになってしまうところも見てきたし、とあるきっかけでバズった人が日常の切り売りを始めて破滅に向かう様子も見てきた。
黙っていれば異常者ではない、はいつでも真ではないが、少なくとも無用なトラブルは避けられる。言わぬが花とはよく言ったものだ。
Footnotes
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エコーチェンバー現象という。 ↩