この話にはフェイクが混じっています
生成AIが導入された
私が入社したころにはふたつみっつ離れた席にいた上司は、あれよあれよと出世していき、今では経営の企画参謀のようなことをしている。社長の命を受けて会社のIT強化を推進する役目を担っており、時代の波に乗った答えではあるものの、ついこの前に生成AIが実用化され始めたころから社内への生成AI導入を推進してきた。おかげさまで今では全社員がなんとかパイロットとかなんとかミニという生成AIサービスの有料版が使えるようになり、経営層からはさらなる業務効率化が期待されている。
私も生成AIの出始めにすこし使ってはみたものの、最初はググるのが下手クソな小学生みたいな答えを出してきて、使いものにならないという評価を下さざるを得なかったが、最近では日々進化してきており、ただ質問に答えてくれるだけでなく、結果の検証ステップまで追加され、信頼性も徐々に高まりつつある。
そうした会社の動向もあり、私も普段から生成AIを使用するようになった。検索エンジンをハックするためのSEO対策や収益化のためのジャンクデータが増えた今では、裏付けのための調査こそ必要ではあるものの、調べものは楽になった。仕事でC#1を書くことが多いが、Microsoft Learn (旧MSDN)よりもまともな答えを返してくれるし意味も教えてくれる。使いどころによっては強い効果を発揮することもあれば、あまりプロがいない領域では不確かな答えを返すこともあり、やはり集合知なのだなと再認識させてくれる。
上司の話
話を上司のことに戻すが、最近部署ミーティングの際に生成AIの活用例を紹介したいということで、スプレッドシートでAI関数が使えることを披露してくれた。サンプルデータは社内アンケートの結果だったのだが、その回答欄の横にはAI関数を使った要約が自動入力されていた。内容の要約や感情分析をAI関数を使って簡単にできることで、レポート分析の効率がさらに高まり、迅速な意思決定が可能なので、みんなも是非使ってみてくれ、という主旨だった。
私は新規開発寄りの技術職だし、まだ見ぬものを作ることが仕事だ。生成AIはヒントは与えてくれるが、思い通りの答えは出力してくれない。あまり必要のなさを感じて話半分に聞いていた。上司には悪いが、私はそれなりに忙しいし、ほかにもっと考えるべきことはあるのだ。
価値を生み出せるか
集合知との対話は「みんなと同じがいい」日本人には向いていると感じる。誰かがやっていれば自分もやる気になるし、ほかの会社もやっていればそれに追従しなければならなくなる。しかし、価値を生み出すには落差が必要だ。なにかと違っているからこそ価値を見出せるのであって、みんな同じなら雑踏の中のひとりだ。自販機も「あったかい」と「つめたい」があるから価値があるのであって、すべてが「ぬる~い」なら必要ない。
社員のアンケートやレポートといった読むにも一苦労な作業を効率化するのは確かに理にかなった利用方法とは思うが、集合知はよくも悪くも無難な答えを出す。法令には従うし公序良俗も遵守する。いろんな視点で意見もしてくれる。しかし、人間が出すべき結論まで生成AIに頼ることになったり、優れた判断をする生成AIが欲しいという話になったりすると「この人いらなくない?」みたいな議論にもなるし2、使うべきところを見極めないと世にも奇妙な物語になってしまう。
やがて生成AIによる業務効率化はどこの会社でもその規模によらず推進されていくし、上役はAIと対話することを覚えて、平凡で現実的な答えを導いてくるだろう。最低限の水準は担保できるといういい側面はあるにしても、みんな同じことをやっていれば意味がない。生成AIに頼りすぎるあまり、我々は世の中に影響を与えられるほどの価値を生み出すことができなくなってくるのではないか?とも感じるのだ。