コーディングは楽しい
コーディングは楽しい。カタカタ手を動かしていれば自分の手で作り上げた感じがあるし、指が滑らかに打鍵できたときはプログラマをやっていて冥利に尽きるとさえ思う。しかし、仕事で取り組むことの多いギョームアプリ1は変な制約こそあれど、それほど複雑でもないし、誰かがやって欲しい類のものだ。少なくとも趣味で書いているコードよりは面白くない。
生成AIコーディングが始まり、GPT-5 miniを使っていたころはまだ人間のほうが正確なコードを書けるし、それによってコーディングができる自分がいることの正当性を示せた。コードというものは人間の練られた感性によって作られるものと考えていたし、生成AIコーディングに抵抗したい気持ちもあった。
しかし、ここにきてClaude Sonnetが現れて、ジュニアを軽く追い抜いてしまった。方向性を示すだけで申し分ないコードを出力するし、足りない部分はプロジェクト固有のコーディング規約や美的感覚だけだ。聞かれれば自分の中ではこうしたいという答えが明確にある自分のような人間にとっては、必要に応じて生成AI側からどうするべきかを人間に聞いてもらって実装してもらう方が早いし、もし違う点があればフィードバックして、スキルなどにまとめておいてもらうだけで同じことを何回も言う手間が省ける。
そもそも私は趣味が仕事になっているだけで、仕事をしたいわけではない。こんな退屈な作業はさっさと終わらせて、調査だ検証だなんだといって会社の金を使って遊びたいのだ。
結果が大事
仕事はビジネスなので結果が大事だ。夏休みの宿題を3日で終わらせる2ことに定評のあった私にとってはなかなかいい評価基準のようにも感じられる。コーディングという行為が安くなってしまった今、私にできることは何か?と問われたら、それは知見をもとにしてなにか面白いことをすることだ。
つい最近社内でチャットボットを作る話が挙がって、みんなでそのうちできればいいね、という感じだったが、先週はすこし時間があったので、これまでちまちま書き記していたナレッジベースからClaude Code用のスキルを作って問合せエージェントの実現可能性を伝え、今週はそれをもとにAWS Lambdaを使って推論させるサンプルを見せた。
すると上司からすれば印象深いものだったらしく、いろいろと聞かれたが、結局そういったビジネスとして夢が広がるような話を求めているのである。私が仕事でコーディングをする機会は今後もっと減っていくと思われるが、コーディング然り、アルゴリズム然り、何らかのシステム然り、なにかをうまく実現する方法を知っていることに価値があるのだ。
- 仕事の間のちょっとした隙間時間に(こういう時間を作ることも含む)
- これまでの知見を活かして
- パパッとプロトタイプを作る
これでいいのだ。コーディングという楽しみのひとつを奪われたときには憤りも感じたが、それは趣味でもできるし、上司にも手の内をすべて明かしているわけでもない。少なくとも生成AIに対して文句をつけられる間はプログラマとしての地位はまだまだ失いそうにない。