俺はガンダムで行く (I choose the form of Gundam)
── レディ・プレイヤー1
再掲:技術は課題を解決しない
2025年を振り返るでも触れたが、
職場に生成AIが導入されたこともあり、AI関連の日記が多かった。結果わかったことは、テクノロジーは自分たちの課題を解決しないということだった。プログラムのライブラリは課題を解決する手助けはしてくれるが、課題そのものは解決しないのと同じように。
Obsidianコミュニティの投稿を追っていると、あのプラグインがいいとか、このプラグインがいまひとつとか、そういった声が聞こえてくるが、私個人はあまりプラグインや拡張機能というものを利用しない。普段使っている開発ツールもそうだし、ゲームでもModの類は入れないし、ObsidianにもPublish用のプラグインしか入れていない。
開発ツールには言語それぞれのデファクトスタンダードの拡張機能しかいれていないし、ゲームではTerraria, Noita, Minecraft等の有名タイトルでもModの類は入れて遊んだことがない。バニラの状態でもおもしろいし、多少バランスが悪くてもそれもゲームの「味」だと捉えるようにしている。かつてのMinecraftは少し味気ない感じもあったが、Microsoft傘下になってからは精力的なアップデートによって十分楽しめる内容になってきている。
Obsidianについて言えば、グラフィカルなUIがあったほうが思考整理しやすいという意見もあるだろうが、私の課題解決はMarkdownの範囲で閉じていて、言語化や思考整理に際して満足できるだけの機能を備えている。
振り回されたくない
それはまたなんで?と問われれば、ひとつはなるべくコンパクトにやりたいということがある。作業環境が変わることはあまり考えていないが、依存するものが少ないほど再現性が高くなるし、別の環境を要求されたり制限がかかったりする環境下において追加機能がないと動けないという事態は避けられるからだ1。
また、自分にとって必要十分な機能を選択して、期待しすぎないようにしている。UNIXの哲学に「ひとつのことをうまくやれ」というものがあるが、便利なツールを使い始めるとそれをIDE(統合開発環境)のように感じ始めて、あらゆることをその上で実現したくなる気持ちはわかるが、餅は餅屋というように、うまくやるツールを組合せたほうがそれぞれの仕事の結果はよくなるし、ツール同士の連携も疎結合になる2。部分的にサービスや機能提供が終了してもそこだけ取り換えればいいので、自分の目論見がまるっきりお釈迦になることはない。
自分の悩みは自分でしか解決できない
利用者も開発者も一番恐れているのは破壊的変更だ。これまで期待通り動いていたものが動かなくなったり、サポートが打ち切られたりすると一大事だ。大抵そういったものは止まると困るロジックに食い込んでおり、ライブラリやプラグインの寿命がシステムの寿命であることも少なくない。
いや、もしかしたら期待どおりの動作をするものがあるかもしれないが、アップデートによって挙動が変わるかもしれないし、それでは困ることがほとんどだろう。あくまでライブラリは便利に利用しつつも、依存しすぎることを避けて、やがて襲ってくる災害に備えなければ、いつか理想郷は終わりを迎え、決して満足することのない新天地探しを始めることになる。
世の中の多くのライブラリ(拡張機能)というのは、誰か個人のために特化して作られたものではなく、一般的にこうした機能が望まれているだろうと想定して作られている。なので、似たようなライブラリがあっても自分が期待する機能に届いていないのであれば、自分で作ってしまったほうが早いし、自分の興味が続く限りはサポートも続けられる。理想郷は守られるのだ。